ハンニバルが越えた峠は?
紀元前218年の秋
カルタゴの名将ハンニバルはローマを奇襲するため、戦象を引き連れて、アルプスを越えました。ハンニバルが越えたアルプスの峠はどこなのか?
ハンニバルは南フランスのローヌ川を渡り、敵対する部族と闘いながら進軍しました。軍勢は厳しい山道を進み、寒冷な気候と食糧不足に苦しみました。
一部の記録によれば、ガリア人の市道で比較的通りやすいルートを選んだものの、途中で急峻な斜面や崖に直面し、工夫しながら移動したようです。一部の部族は敵対的で、行軍中に奇襲を受ける場面もありました。急な斜面では軍隊が苦戦し、多くの兵や馬が滑落したようです。
要した日数は15日間で、4万6千の軍勢が2万6千に減りました。凄まじい消耗率です。

ルートはサン・ベルナール峠、クラピエ峠、モンジネーヴロ峠、トラヴェルセッテ峠、と諸説あります。2016年にトラヴェルセッテ峠から馬糞の痕跡が見つかったことでここが有力になっているようです。
サン・ベルナール峠ルート
GoogleMap
https://maps.app.goo.gl/PUNr5hCVEvWwHTNw6
クラピエ峠ルート
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https://maps.app.goo.gl/h9deBQG2eiqE1KiY6
モンジネーヴロ峠ルート
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https://maps.app.goo.gl/cyqVwrQCmYeBspLW8
トラヴェルセッテ峠ルート
GoogleMap
https://maps.app.goo.gl/cMazDsNHTrmj6e2R8
山脈と峠



なぜ2000m級の峠を越えなければならなかったのか、谷間を通れば楽なのではないかとぼんやり思っていましたが、地形を高さでグラデーションすると、山脈が迷路の壁のように立ちはだかっており、必ずどこかを越えなければなりませんね。
いずれは戦象の骨や、硬貨、短刀などの物的証拠が出てきてルートが解明されるのだと思いますが、あれこれ妄想するのも楽しいものですね。